一八六五年に亡くなった貧しいユダヤ教徒。
彼は、お椀(わん)を手に物乞(ものご)いをして過ごした。一生を通じて、彼は九万ルーブルを施された。しかし、自分のためには一銭たりとも使わなかった。それらを病人達に与え、しかも、自分自身で彼らの世話をした。夜なべ仕事に嗅(か)ぎタバコをつくり、それを売って自分の生活費とした。生活費が残れば、もちろん、貧しい者たちに分け与えた。
からの霊界通信(チャネリング)

私の今回の転生における生き方を決めた原因について語ってみたいと思います。

私は数世紀前に、あるところで王として暮らしておりました。私はその国において、絶対的な権力を持ち、家臣たちの運命を完全に手中に収めておりました。私は、暴君として――いや、むしろ死刑執行人と言ったほうがよいでしょう――生きておりました。横暴で、気性が激しく、吝嗇(りんしょく)で、色を好む王のもとで、哀れな家臣達がどうなるかは、貴方がたにもすぐ想像がつくでしょう。
私は権力を濫用(らんよう)して、弱き者達を抑圧し、あらゆる人民を私の欲望の遂行の為に奉仕させました。物乞いをして得たものにまで税金をかけたのです。要するに、私は貧困の中にあって喘(あえ)ぎ苦しむ人々に対して、最も無慈悲な人間であったというわけなのです。


やがて、私は、恐ろしい苦しみの中で、死にました。この死は、私と同じようなものの見方や考え方をする人々にとっては、恐怖のよきモデルとなるでしょう。その後、私は二百五十年のあいだ霊界でさ迷いつづけました。そして、それだけ長い時間をかけて、私はようやく、地上に生まれ変わる本当の目的を理解したのです。
その後、私は、諦念(ていねん)、反省、祈りを通して、物質界にもう一度生まれ変わり、私が人民に味あわせたのと同じ苦しみを、あるいはそれ以上の苦しみを、耐え忍ぶという試練を与えていただいたのです。

天使達に助けていただきながら、地上で、私は〝善を行う〟という決意を貫きました。私は天使達に心から感謝しなければなりません。天使達の助けがなければ、私は、自分が企てた試みを、きっと途中で放棄してしまっていただろうと思うからです。
私はこうして一生を終えたのですが、その間になした献身と慈悲の行為が、かつての転生の際の、残酷で不正にまみれた一生をかろうじて贖(あがな)ったという事なのです。たった一人で、愛も情けも知らずに生き、さらに、私がかつて他者になしたのと同じ残酷な仕打ちを受けました。私がなしたのと同じだけの仕打ちを、同胞たちから受ける必要があったのです。誇張も、自慢もせずに言いますが、まさしくそのとおりでした。

そして、私は、自分の生活を極度に切り詰めることによって、社会奉仕を行い、私がなす善の総量を多くしたのです。私は、地上での償(つぐな)いによって天の蔵に積まれた徳の量は、おそらく充分なものであるだろうと考えながら、心安らかに地上を去ったのですが、霊界に還ってみると、私がいただいたごほうびは、ひそかな予想をはるかに上回っていたのです。私はいまとても幸福です。

上記はアラン・カルデック『霊との対話』からの抜粋です。 
善行により悪行を償うことができる、という実例です。
現世のみを観察すれば、不平等や不正と思われる事柄が多いのですが、他生も含めて見れば、神の公正が理解できると思います。
人間は善を行うことにより、自分も他人も救います。

信じている神仏の名前や、聖書や経典の単なる知識や、宗教儀式は、誰の救いにも関与しません。

(へちま)

_DSC5413


イメージ 5イメージ 1イメージ 2イメージ 4イメージ 3