写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2012年06月

外なる人の中には、善を求める情愛とそこから発してくる歓喜と快楽のような、内なる人がそれとともに住むことができる多くのものが存在している。 なぜならこれらは内なる人のいくたの善の結果であり、また内なる人の喜びと幸福との結果であって、それらがその結果であると

外なる人の中ではすべてのものは自然的なものである、なぜなら外なる人それ自身は自然的な人と同一のものであるからである。 外なる人を構成している能力には三つのものが存在している、すなわち合理的なものと記憶知の能力と外なる感覚的なものが存在している。 合理的な

主の霊的教会の凡ての者のもとでは仁慈が第一義的な事柄である。なぜなら仁慈が霊的教会を作るのであって、あなた方が仁慈を信仰と呼ばない限り、信仰が教会を作りはしないからである。 仁慈の中にいる者はその隣人を愛しており、その隣人が信仰の事柄ではかれと異なってい

感覚的な人間とは肉眼で見たり、手で触れたりするものをのぞいては、すなわち、視覚や触覚でとり入れるものをのぞいては何ごとも信じない者のことであって、彼はそうした物から考えるため、その思考は物質的なものであって、霊的なものではない。 こうした人間は最も外なる

この柔らげられることは試練以外のいかような手段によっても遂行されはしないのである。 なぜなら試練は、自己への愛にぞくし、また自己に比較し他の者に対し覚える軽蔑の念にぞくしているところの凡てのものを遠ざけ、従って自負心にぞくし、また自負心のための憎悪と復讐

196.人間がその心で信じ、それに従って生きることを愛している信仰の諸真理が彼の内部で攻撃される時、特に彼がその中に自分の霊的生命を置いている愛の善が攻撃される時、それは霊的試練と呼ばれる。 その攻撃は色々な方法で行われる。 それは例えば、真理と善に反抗す
『内的な不安と良心の苦痛』の画像

179.人間は各々、内なる人と外なる人を持っており、内なる人は霊的な人と呼ばれるものであり、外なる人は自然的な人と呼ばれるものであって、人間は再生するためには、その各々が再生しなくてはならない。 再生しない人間のもとでは外なる、または自然的な人が支配して、

187.再生しつつある者のみが霊的試練を受ける。 なぜなら霊的試練は善と真理とにいる者たちのもとに悪霊により引き起こされる心の苦痛であるから。 その悪霊らが悪を刺激すると、そこに試練の不安が生まれる。 その起源を知らないため、人間はこの不安が何処から来るか

173.霊的生命を受けない者、すなわち、主により新しく生まれない者は天界に入ることはできない。 そのことを主はヨハネ伝で教えられている。 まことに、まことに私は貴方達に告げる、人は再び生まれないなら、神の国を見ることはできない。(ヨハネ3.3) 174.人間

悪と善とは共存することは出来ない。悪が除かれる限り、善は善として認められ、また感ぜられる。なぜなら、霊界には各人からその人の愛のスフィアが発散し、それがそれ自らを周囲に拡げ、同感と反感とを生み、このスフィアによって善い者は悪い者から分離される。 善が

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