写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2012年07月

単に、自然的な人間は他の人間の中に悪と善とを見ることが出来、また彼らはその欠点の故に咎め立てすることが出来るが、自分の心を一度も点検したことが無いために、自分の中には何らの悪をも見ない。 そして、もし、何人かが彼の欠点を指摘するならば、彼は巧みにそれを、

私たちは宇宙の大霊と自然法則の存在を説きます。その法則の働きの証をお見せする道具のようなものです。そしてナザレのイエスの本来の人となりをお教えして、イエスもやはり大霊の道具であり、地上の人間も大霊から授かった霊力を発揮しさえすればイエスと同じ生き方が可能

人間は人間自身では善を追い求めることすらできない―なぜなら善を行なうことは善を意志することから発しているからであるが、信仰もまたすべて主から発しており、かくて人間は信仰をそれが主から流れ入ってこない限り些かも持つことはできないのである。 上記の事柄が教会

財産、快楽について熱心に考えていた。 そうした時、わたしは感覚的なものに落ちこんで、思いがそうした物に浸されてしまうに応じて、わたしが天使たちとの交わりから遠ざけられてしまうことに気づいたのである。 このことよりまた、こうした心づかいに深く浸されている者

地上の人間は、一人の例外もなく、自分の努力で性格を築き、自分の努力で霊性を進化させて行くために地上界へ来ているのです。 利己的な生き方を選ベばそれなりの代償を払わなくてはなりません。人のために役立つ道を選べば、個性の発達という形で報われます。 そのよ

帰宅途中で見た昨日の夕焼けがきれいだったので、今日は早起きして日の出を撮ってみました。 日の出です。Zuiko21mmF3.5 空に雲が出てきました。 少し日が昇ってからの朝日です。Zuiko200mmF5
『日の出』の画像

最初は同意から、次に意図から、最後に情愛の歓喜から、自分自身を悪に投げこむ。 地獄が開かれ、流入が起る。密着し、ついにはかれを遍く支配する。 それらが悪でないと確認させるものを探し求め、 姦淫、窃盗、傲慢、ほこり、他者に対する軽蔑、罵り、を許され

主に凡てを帰している者たちは他の者よりも賢明であるが、それは知恵を構成している真理と善との凡ゆるものは天界から、すなわち、天界の主から流入しているためである。 主に凡ゆるものを帰することにより人間の内部は天界に向かって開かれるのである、なぜなら真理と善と

主が色々な状態を着けられたことについては、それらは人間には不明なものでないわけにはいかない。 なぜなら人間は自分の状態の変化を決して反省はしないからであるが、その状態の変化は理解に属している思考の方面のみでなく、意志に属している情愛の方面でも絶えず行われ

全般的に「人間自身のもの」については、二種類のものがあり、一つは奈落的なものであり、他は天界的なものである。 奈落的なものは人間により地獄から受け入れられ、天界的なものであるものは天界から、すなわち、天界を通して主から受け入れられてる。 なぜなら悪はすべ

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