写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2012年09月

価値あること、成就するに値するものほど、達成するのが難しいものです。楽には達成させてくれません。困難があり、妨害があり、邪魔が入るものです。それもこれも、人間形成の一環なのです。それらにどう対処するかによって魂の成長が決まります。魂の奥に潜在する最高のも

人は神の分身であり、神は創造主です。神が地上の子供に与えられた貴重なプレゼントは創造力なのです。人が美と調和を創造するのに物質的な富は不要です。美と調和は本人の心の内部から生まれて来るものです。素朴であればそこに美があり、人間自身が調和していれば、その身

媒介的な善が在ることは、またそれはその用を果した後では分離してしまうことは、たれもが幼少の頃から老年にさえ至るまで経験する状態のいくたの変化により説明することができよう。 人間の状態は幼少の頃と子供時代の頃と青年時代の頃と大人の時代の頃と老年の頃とではそ

動画撮影用に古い三脚を修理して使っています。 デジカメは静止画だけではなく、動画も撮影できます。私は、殆ど静止画ばかり撮ってきたのですが、Nex-5Nは動画もキレイに撮れ、ユーチューブなどに投稿できることが分かったので、少し真面目に取り組むことにしました。 静
『動画撮影用の三脚修理』の画像

『ラバン』により表象されている善はヤコブにより表象されている真理の善に対照するといかようなものであるかは人間の再生の諸状態により説明することができよう。 人間が再生しつつあるときは、かれは主により一種の間接的な[媒介的な]善の中に留めおかれるのである。

聖言には再三『光』のことが言われ、それにより内意では善から発している真理が意味されているが、しかし最高の内意では主は善と真理そのものであられるため、主御自身が意味されている。 さらに事実として天界には光が存在しているが、しかしそれは地上の光よりは無限に明

人間は自然的な光の中にのみいる限り、室の中に閉じ込められ、ぼんやりしたロウソクの光で見るている者のようなものであるが、しかし、自然的な人が幾多の悪と誤謬から清められるや否や、彼は壁にあいた窓を通して、天の光から天の幾多のものを見るもののようになるのである

いささか申しておきたいことですが、皆さんはどうも地上の価値を、余りに大きく見ておいでのようです。 と申しても、地上でなすべき事を軽んじてもよいと言っているのではありません。 そうではなくて、霊的なものと地上的なものと、この二つの価値のどっちが大きいか、そ

キリストは心静かに神の中にあって生きるようにと教えました。 それ以上の生はありません。 人間として出来ることを尽くしなさい。 それ以上の必要はありません。 一時に一つの事を心を静めてするように、そのように自分を作っていきなさい。 出来ないことは神の御手の

写真を整理していたら8月末にマクロ撮影した花などが見つかりました。 面白いので紹介します レンズは多分、Zuiko 38mmF2.8 Macroです。
『マクロ撮影の夏の花』の画像

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