地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に霊的真理の必要性を知る人がほとんどいません。 洞察力を得るのは、もとより容易なことではありません。 たとえば、こうした霊言などが、直観的に真実か否かを得心できるようでなければいけ
2013年01月
自分の感覚と記憶による信仰
洪水以前に存在した最古代教会の悪のみでなく洪水以後の古代教会の悪は、またユダヤ教会の悪は、それにつづいて、主が来られた以後の新しい教会の悪は、または異邦人の教会の悪は、また現今の教会の悪は、かれらが主または聖言を信じないで、自分自身と自分自身の感覚とを信
争闘がなくては改良も在り得ない
ルカ伝には― 主は、御自分は地に火を投じるために来たのであり、それにすでに火が点じられているなら御自分は何を望むであろうか、と言われた(12・49) このことは善と悪との間の、真理と誤謬との間の敵意と争闘とを意味している、なぜなら主が世に来られる
勤勉
つねに終りを忘れず、過ぎ去った時間のふたたび帰らぬことを記憶せよ。 熱心と勤勉とがなければ、決して徳を積むことはできないのである。 冷淡になりかけると、たちまち悪いことが始まる。しかしもえるような熱心があれば、大きい安心を得、また神の恩恵と善徳とを愛す
Zuiko 28mm F2.8
正月休みにZuiko 28mm F2.8をオークションで3400円と安価に落札して使っています。 カビがあるとの話でしたが小さな痕跡のみの美品でした。通常であれば1万円ほどするのでは?と思います。 このレンズは170gと軽量で昔から気になっていたのですが似た広角レンズが増え
善を為すこと
主と隣人とを愛することは全般的には用を遂行することである。 用により善が意味され、 それゆえ用を遂行することにより善を為すことが意味され、 用を遂行することにより他に奉仕し、他を助けることが意味される。 用(善)を遂行する人間は栄誉と富とを受けるけれど、
感謝
神は全てを与えたゆえに全てが神に帰することを望む。 そしてそれに対してきわめてきびしく感謝を要求する。 これこそ真理であって、これによってすべての虚栄は駆逐される。 もし天からの恩恵と、ほんとうの愛とが心に宿るなら、嫉妬も、悩みも、自我の愛もはいる余地
祝福感
自己と世への愛にいる人間は、身体の中で生きている時、そうした愛から楽しさを感じ、またそこから発してくる色々な快楽の中に楽しさを感じている。 しかし神に対する愛と隣人に対する愛の中にいる人間は身体に生きているあいだは、そうした愛から、またそうした愛から発す
天の炎の火花で磨かれ浄められる
卑しめのわざは、それを受け入れる必要があるのみでなく、それを食物のように噛みしめ、愛することが必要である。 その食べ物が苦いとき、噛めば噛むほどその苦さを感じる。 こうしてよく噛みしめられた卑しめは、へりくだりのわざを生む。 卑しめとへり下りというこの二
慈悲である聖いもの
試練と呵責とは主の神的な臨在を通して発生してくるため神的なものから発しているかのように見えるのであるが、それでもそれらは神的なものからまたは主から発しているのではなくて、試みられ、または責めさいなまれている者の中にある悪と誤謬から発しているのである。 な