写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

写真帖 イメージ画像
お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2013年06月

人間の魂は不思議な機械です。思いのままに、沢山の放送局に波長が合わせられる受信機です。 欲望と不安うずまく暗い幽界にでも、生活全てが神の美の表現である領域へも、もし望むなら、遠くの星々までも。 しかし、これを使いこなすには、無辺の美の世界へ参入する方法を

人間には正しい選択をする責任が負わされています。 そこに自由意志があります。 進化の計画を促進することもできれば遅らせることもできます。 つまり、限られた範囲内においての話ですが、地球という惑星でいっしょに暮らしている他の生命をどう扱うかについて自由意志

わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。(ホセア書6・6)  生けにえは命じられたのではなく、仁慈と信仰が命じられたのであり、それでそれらはただ許されたにすぎないことが聖言により示されている。 なぜそれ

人間は精神的にも身体的にも霊的にも自由であらねばなりません。 私たち(天界の使者)はいかなる形であっても〝隷属〟というものを許しません。 人間はみずからの束縛状態をみずからの力で解かないといけません。 そのためには、まず自分を生かしめている力が地上世界の他

主の生命[生活]は、その子供時代の最初の頃から実に世におけるその生命の最後の時間までも、絶え間のない試練であり、また絶え間の無い勝利であったことは、旧約聖書の聖言の多くのものから明白であり、またそれが荒野の試練とともに終りはしなかったことは、ルカ伝に言わ

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マタイ16.24) イエス磔刑の物語は、イエスの大いなる愛を示すものですが、一事が万事、これはまた、すべての試練や苦しみを受ける魂が、怒りを捨て、真理と愛に従って、進化の階段

自分は最高の存在を承認していると言ってはいるが、その存在を認識する観念[考え]を何らもっていない者達の大半は神を全く承認してはおらず、その代わりに自然を承認している。なぜならかれらは自然を把握するからである。 基督教徒の間の学者たちの非常に多くの者はこの

心の純潔な者は祝福されている、なぜならかれらは神を見るからである(マタイ5・8) 人間の合理性は主によって明るくされないかぎり、神的な物を理解することはできない、また霊的な事柄さえも理解できない。 かくて明るくされている者のみが聖言を理解する。 主は

我々が宇宙と呼ぶこの偉大な組織は、神はそれを創造するに当ってただ一つの目的を、人類による天使的天界を目標とし、世が由って以って成立する凡ての物はその目的に対する手段である故、始めから終わりまで調和のある統一体である。 何故なら、目的を欲する者はまたその手

「大海不宿死屍」は仏祖の正教なり。凡聖の教えにあらず、付仏法の小教にあらず。 大海とは包含万有なり。なにものと知れるにあらざれど、しばらく万有なり。 不宿死屍とは明頭来明頭打、暗頭来暗頭打なるべし。 死屍は死灰なり、幾度逢春不変心なり。死屍といふは、すべ

↑このページのトップヘ