写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2013年07月

全てが陰気で暗く侘(わび)しく感じられているこの地上において元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。そして一人を二人に、二人を三人としていくことができるのです。 霊の宝は楽々と手に入るものではありません。

なぜならかれらは外なる人の感覚的な事柄より先にはすすまないからである。 従ってかれらは死後の生命を全く信じていないし、また自分たちがその身体をもって甦らないかぎり、何らかの復活がありうることを信じもしないのであり、それでかれらは復活についてはそのような見

真理を抑圧(よくあつ)することは出来ません。 キリスト教の名のもとに維持されてきた誤りが瓦壊し、すっかり忘れ去られた時には、霊の力に裏うちされた真理が優位に立ち、世界中いたるところの人間の心の中に王座を占めることになりましょう。 たとえば、復活の現象は決

人の子がその栄光の中に来るとき   は、神的真理[神の真理]がその光の中に現れるときを意味しており、そのことは人間各々のもとにその者が死ぬ時起るのである。 なぜなら、かれはそのとき天界の光の中へ入って、その光の中で真で善いものを認めることができ、そこから自

人間がこの世で考え、語り、行ったことは何であれ一つとして隠れはしない。 なぜならこうしたものがスフィアを作るのであり、人間がこの世で身体の中にいる間にもその霊から流れ出ており、そこからその者の性質も知られている。 それで人間が秘かに考え、また秘かに行う事

こちらの世界(死後の世界、霊界)ではその人の人間性(霊性)が全てを決します。 絶対的実在は“霊”なのです。 それには仮面も変装も口実も誤魔化しもききません。 何一つ隠せないのです。全てが知れてしまうのです。 なぜかと言えば、その人のオーラ、色彩、光輝がそ

人が死後どのような境涯に入るかは、生前の生活いかんにかかっています。 他者に親切であった者は、清浄で美しい境涯に入ります。 欲に溺れ低級な生活を送った者は、それに応じた低い境涯に入り、一層の勉強と浄化の必要上、遠からず地上に再生します。 人は地上生活で、

祈りとは、私に可能なかぎり最高の“神の概念”に波長を合わせたいという願いの表れなのです。 私は祈りとは魂の憧憬(どうけい)と内省のための手段、つまり抑え難い気持を外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。

『報酬』は聖言にひんぱんに言われているが、しかしそれがそこで意味していることは僅かな者しか知ってはいない。 『報酬[報い]』はその最高の意義では神的な真理の善と善の真理であり、内意では天的な結婚愛であり、外なる意義では相互愛を意味している。 人間が行

小さな子供たちは、最初その中に宿っているところの、幼児時代の無垢と呼ばれる外なる無垢から、知恵の無垢である内なる無垢へ導かれて行く。 この無垢はかれらの凡ての教育と進歩との終りであり、それで彼らは知恵の無垢へ来ると、そのときそれまで彼らに一つの面として役

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