写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2013年10月

「目を上げた」。 聖言では『目』により、内的な視覚が、または理解が意味されている。 ここから『目を上げる』ことは、自己の上の方にある事柄を見て、認識することを意味している。 内的な事柄は聖言では高いものにより表現されており、たとえば『見上げる』『目を

霊力は無尽蔵(むじんぞう)です。それに制限を加えるのは人間の受容能力です。人間が少しでもその受容能力を増せば、その分だけを授ける用意がこちらにはいつでも出来ております。が、それ以上のものは絶対に授けることはできません。 常に上を向いて歩んで下さい。下

「人間の心」は、天界に連結されない間は、地獄から導き出されていなかったため、後ろの方へ向けられていたのである。 それが改良の状態にある時は、真理から善を注視し、かくて左から右を注視しており、それは秩序に反しているのである。 しかし、心が天界に連結されてい

天界の天使たちはすべて太陽としての主にその額を向け、地獄の使いはすべてその頭の後ろを主に向け、後者はそれ自身では欲念であるところの、その意志の情愛に流入を受けて、理解にこれを支持させるが、前者はその理解の情愛に流入を受け入れて、意志にこれを支持させる。
『小脳(意志)と大脳(理解)』の画像

宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり、参見知識のはじめより、さらに焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ。 もし人一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端座するとき、遍法界みな仏印とな

「名で呼ぶ」が『性質を知る』ことを意味する理由は、古代人が「名」によって『何かの本質』を理解し、「見て、名で呼ぶ」ことによって『性質を知る』ことを理解したからである。 名は名づけられたものの源と性質を含意するので、「名で呼ぶ」はこれ以外の事を意味しない。

しかし今も尚世には知られていないで、恐らく信じるに困難であることは、最古代教会の人々は内なる呼吸を持っていて、単に無音の外なる呼吸しか持っていなかったということである。 かくてかれらはその後のように、また今日のように、言葉では余り多く語らないで、天使たち
『顔の表情による観念の伝達』の画像

しかし現今人間はこうした天界的状態から如何にへだたっているかは、自分が考え、意図することとは異なった他の何ごとかを語り、行い、またその表情で表すことが市民としての慎重な事柄であり、自然的な心が悪い目的を抱いて内的に考え、意志しているのに反した表情をして行

最初悲哀が生まれた理由は、真理が自然的な善の中へ挿入されつつあると、それは先ず苦痛を生み出すということである、なぜならそれは良心を抑圧して、不安を生じさせるからであるが、それはいくたの欲念が現存していて、それらにむかって霊的な真理は戦うためであるが、しか

不動の信念をもって人間としての正しい生活を送れば、きっとその恩恵に浴することができます。このことに例外はありません。それが宇宙の摂理なのです。 その摂理に調和しさえすれば、必ずや良い結果が得られます。もしも良い結果が得られないとすれば、それは摂理と調和し
『人間としての正しい生活』の画像

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