写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2014年03月

だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。( マタイ6・24) 真理を真理と生命のために学ぶのではなく、利得のために学ぶ者らは、教界

主が来られた後の原始教会の場合から知られているように、教会が主により起される時は、それは最初は傷のないものであって、一人は他の者を自分の兄弟として愛しているのである。 そのときは教会の子供たちはすべて兄弟として共に住み、同じく互に他の者を兄弟と呼び、互に

「されば我らは人間は律法の業無くして信仰によりて義とせらるるなりと結論す」とのパウロの言葉(ロマ3・28)は誤解されているのである。 何故ならこの記事の律法の業とは十戒に言及するものではなく、ユダヤ人に特有なモーゼの律法に言及しているからである。   信

隣人を愛するとは、如何なる意味であるかを我々は今述べよう。 隣人を愛するとは親類、友、善良な人々に対してのみでなく、見知らぬ者、敵、邪悪な人々に対しても善をなさんと欲し、これを実行することである。 しかしながら、仁慈は前者に対すると、後者に対するとでは異
『邪悪な人々に対する勧告、矯正』の画像

「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10:16) あなた方の父の知ることなくしては,[すずめ]一羽も地面に落ちません。(マタイ10:29) 『はと』は全般的に信仰の知的なものを意味している。 『からす』は誤謬を意味している。すなわち、からすは理解に
『白い鳩とカラスとカモメの事案』の画像

私は新しい天と新しい地とを見た、なぜなら最初の天と最初の地とは過ぎ去ったからである。(黙21.1) 教会の終わりが来るとき、最後の審判が起こることには多くの理由がある。主な理由は以下のごとくである。 その時、天界と地獄との均衡が破れ、その均衡とともに人間

「暗闇がたちこめた」。 これは憎悪が仁慈に代ったときを意味している。 聖言では『暗黒』は誤謬を、『暗闇』は悪を意味している。 誤謬が真理に代るとき、『暗黒』が存在し、悪が善に代るとき、またはそれと正確に同一のことではあるが、憎悪が仁慈に代るときは、『暗闇

イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分りが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。マルコ7・17

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。(マタイ7・1、2) 信仰の何らかの真理について何らかの意見を持った者らが、他の者を、「あなたらは自分たちが信じているように信じ

人間は十戒に禁じられている悪から遠ざかることにより十戒のいましめに従って生きなくてはならない。 多くの者は、「たれ一人これらの悪を自分自身で避けることはできない、人間は罪の中に生まれており、それで罪を避ける力を自分自身でもっていないためである」と考えてい

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