写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2014年04月

実際の悔改めすなわち、自己点検、己が罪の認識と承認、主への祈願、新生を開始することは、多くの理由から改革派の基督教世界においては極めて困難である。 何らかの悪を考えながらも、「私はこれをやりたい気持ちであるが、然しそれは罪である故に、やらない」と語らせる

宇宙の創造の目的は、「用」とは何であるかを明らかに示している。 宇宙創造の目的は天界の存在であり、そして天使の住む天界が目的であるため、人間または人類もその目的である。なぜなら天界は人類から発しているから。 このことから、創造された物は全て間接的な目的で

「わたしはわたしの虹を雲の中においた」 これは再生した霊的な人間の状態を意味しており、その状態は虹に似ているのである。 ここに「雲」と呼ばれているものは、その者の誤謬(暗さ)である。 主により、その者の中へ無垢、仁慈、慈悲が徐々に注ぎ込まれると、この

今日の夢: 鉄骨造のような近代的な建物に多くの人々が競って入ろうと群がっていました。建物の上部には働く人々がおり、そこから、時折、建物下部にあるプールに落ちて死んだように浮かぶ人々もいました。透明な水に浮かんだ人々を集めて救い上げている人々も働いていま

通勤電車における不思議な体験を忘れないうちに書いて置きます。 十年以上前のことです。 朝の通勤時に吊革に掴まって外を眺めていたところ、頭と体が熱くなると同時に気分が悪くなり汗が流れるように出てきました。首周りをハンカチで拭いながら我慢していたのですが
『通勤電車における感触』の画像

最初私は、どうして自己愛はかくも悪魔的なものになり、その愛にいる者らの姿はかくも怪物になるのかと怪しんだ。 なぜなら世では自己愛のことはほとんど考えられず、ただ心の得意のみが考えられているからである。(その得意は誇りと呼ばれ、それのみが自己愛であると信じ

ダビデの書には―   ああエホバよ、生けにえと供物とはあなたは望まれなかった、燔祭と罪祭とはあなたは求められなかった、ああわが神よ、わたしはあなたの御意志を行うことを求めました(詩篇90・6、8)。 生けにえは命じられたのではなく、仁慈と信仰が命じら

この愛は神の創造物すべてに延長されなければならないということを付け加えたいと思います。 なぜなら、人間が動物に対して残酷であるならば、その見返りとして苦痛を味わうしかないからです。 皆さん、残酷であるということは恐ろしい罪です。 残酷な行動、残酷な思い、

極めて多くの人間が自分の生命と獣の生命とを区別する方法を知っていない。 その理由は、かれらも獣と同じように外なる物の中におり、心では専ら地的な、身体的な、世的な物についてのみ関心をもっているということである。 また、このような人物は、自分自身が、生命の方

霊界にはまたは天界の中には、主に対する愛と隣人に対する愛の、またはそれと同一のものではあるが、善の血縁関係と相似性以外の血縁関係と相似性は何ら存在しない。 天界を構成し、無数に存在している社会は、ことごとく愛の度と相違とに応じ、引いてはそこから派生してい

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