写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介します

2014年12月

『平安』はその最高の意義では主(神)を意味し、表象的な意義では主の王国(天界)を、その中に在る主(神)から発している善を意味し、かくて善の中へ、または善のいくたの情愛へ流れ入っている神的なものを意味しており、それはまた最も内なるところから喜びと幸福とを生

霊的知識を手にすれば、その時点からその活用の仕方に責任が付加されます。 知識を授かったからには、言い逃れは許されません。 宇宙の機構がわかり、生命の秘密が明かされたからには、隣人に対して、世の中に対して、そして自分自身に対して、より大きな責任を付加された

真実の愛を感じる者は、無条件に与え、感情を束縛しない。強制も強要もせず、愛する人に何の見返りも求めず何の要求もしない。愛と執着の違いが明らかになる例を示そう。 鳥を愛していると公言する二人が出会ったとしよう。 一人は、冷房の効いた部屋の美しい金のかごの中

試練は、または試練の争闘はいかようなことを遂行するかはほとんどたれ一人知ることはできない。 それはいくたの悪と誤謬とが破壊され、消散される手段であり、またそれにより悪と誤謬とに対する恐怖が生まれてくる手段であり、それにより良心が与えられるのみでなく、また

人間にとっては最大の怖れは、自分自身を知ることへの怖れであり、自分の欠点や美徳も含めて、自分が本当はどういう人なのかを発見する怖れである。 我々は、我々自身の欠点を知るのが怖い。我々は、自分にエゴがあることや、自分の災いのほとんどが自我のせいだというこ

宗教的儀式には何の有効性もない。 霊道に近道などないのだ。我々を霊的に進化させる、すなわち「救済する」唯一のものは、自己改善であり、我欲を手放し愛の能力を成長させることだ。それ以外にはない。 救済には儀式が不可欠である、という信念は、様々な教会の指導者た

イエスが馬小屋の中で、動物のほかに友もなく生まれたという物語は、神の子である光の誕生を象徴したものです。 つまり、悲しみや貧しさによって、または霊的な要求によって、つつましく謙遜となった人の心の中に、光明すなわち神の子が誕生するということです。 このよう

今日は休日なので目覚めた後も布団の中でゆっくりしていました。その布団の中において目を閉じた状態で見えた映像(幻視?)を紹介します。 最初の映像は下の写真に示す西之島の噴火のような印象の淡い濃淡による静止画(象徴イメージ?)です。   上の映像が数秒続
『噴火による溶岩流出の幻視』の画像

あなたの神、主はこれらの国々を徐々に追い払われる。あなたは彼らを一気に滅ぼしてしまうことはできない。 野の獣が増えて、あなたを害することがないためである。 あなたの神、主は彼らをあなたに渡して、大混乱に陥れ、ついには滅亡に至らせる。彼らの王たちはあなたの

確かに、非人道的で許しがたいことは数多くあるが、それらは地球に転生した魂たちが生み出したもので、それらを自覚し、地表から撲滅する努力をするのは、その責任があり、そうすることができる人間自身でなくてはならない。 苦しみはエゴのせいであり、我欲が人類の心に君
『一人ひとりの心から我欲を一掃する』の画像

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