真摯なる者、純心なる者、誠意ある者にとっては神学が説く悪魔も閻魔も存在せぬ。
悪は近づけぬのである。
邪霊は逃げ去り、悪の勢力も彼らの前では無力となる。
その周囲は天使により保護され、明るき霊の支配を受け、進むべき正しき道へと導かれる
彼らの前途にはかぎりなき知識と、彼らの知性を昂揚し気高くする全てのものが待ち受けている。

悪魔などは、自ら創造せぬかぎり、恐れるに足らぬ。
善性への親和力が善なるものを引き寄せるのである。
まわりには守護に当たる霊が控え、自ら求めぬかぎり邪霊の餌食(えじき)とはならぬ。

悪の誘惑や罠が特別免除というのではない。
試練の時に味わわされる雰囲気も免れる事は出来ぬ。
魂が悲しみと懊悩の暗雲に被われ、罪の重荷に打ちひしがれるやも知れぬ。
すなわち、周囲に見る不幸と悪に己の無力さを感じ、良心の苛責に苦しめられることもあろう。が、悪魔が彼らを囚(とりこ)にし、あるいは地獄へと引きずり下ろすなどという事は絶対にない。
そうした懊悩も悲しみも良心の苛責も、所詮は魂の経験の一部であり、その体験の力を摂取して、魂は一段と向上して行く。
それは進歩の手段として守護霊が用意せる試練であり、故に細心の注意をもって悪の勢力から保護してくれているのである。
 

上記はモーゼス「霊訓」からの抜粋です。 

善は善を引き寄せ、悪は善に近づけません。
真摯なる者、純心なる者、誠意ある者は、天使により保護され、明るき霊の支配を受け、進むべき正しき道へと導かれます。
(へちま)
DSC02803


イメージ 5イメージ 1イメージ 2イメージ 4イメージ 3