死後、他世に入ってくる霊達は、「神の摂理」は全般的なものではあるが、個々の者の中には働いていないという意見を抱いてくる。
この意見の原因は、悪い者が名誉を与えられ、金持ちになり、成功の栄冠をつけるのを彼らが見て、それらの成功を悪い者らの頭の良さに帰している為であり、以下の事を知らなかった為である。
この意見の原因は、悪い者が名誉を与えられ、金持ちになり、成功の栄冠をつけるのを彼らが見て、それらの成功を悪い者らの頭の良さに帰している為であり、以下の事を知らなかった為である。
神の摂理は人間の永遠の救いを目的としており、この世での人間の幸運、すなわち、人間の豊かさと卓越を目的としてはいない。
大半の人物は幸福を豊かさと卓越においているが、事実はそうしたものではない。
なぜなら普通、卓越は自己愛(うぬぼれ、プライド)を生み、豊かさは世を愛する愛(執着、欲念)を生み、かくて神に対する愛と隣人に対する愛とに反したものを生むからであり、それでこうした物は悪い者に与えられる。(また善い者にも、それが不適当なものではなく、彼らを天界から引き出さないなら与えられるのである。)
さらに主(神)は善い者を通してのみでなく、悪い者を通しても、その目的に備えている。
主は悪い者をその者の愛を通して動かし、隣人に、国に、教会に良い事を為させる。
悪い者は卓越する事を求め、自分自身の利益を求め、他から正しい熱意ある者であると見られようと願い、これらから恰(あたか)も火でたきつけられるように、気質の善良な者よりもさらに強く動かされて、そうした事を行う。
また悪い者は、全ての物は彼ら自身の利口さから生まれ、神の摂理など無い、あってもただ全般的なものしかない、と信じる事も許されている。
悪い者は卓越する事を求め、自分自身の利益を求め、他から正しい熱意ある者であると見られようと願い、これらから恰(あたか)も火でたきつけられるように、気質の善良な者よりもさらに強く動かされて、そうした事を行う。
また悪い者は、全ての物は彼ら自身の利口さから生まれ、神の摂理など無い、あってもただ全般的なものしかない、と信じる事も許されている。
彼らはそれ以外の事は認めようとしない為、また、彼らが公共の善に資する事項を遂行するようにと、成功も彼らの企画に応じて彼らに与えられている。
その成功は、彼らがそれを彼ら自身に帰している為、彼らをさらに刺激するのである。
その成功は、彼らがそれを彼ら自身に帰している為、彼らをさらに刺激するのである。
神の摂理は「人間の永遠の救い」を目的としています。
つまり、現世における改良と霊的な再生を目的として、人間各々の生活の中で神仏は働いている、という事です。
しかし、自分自身の生活において神仏や天使や霊の働きを感受できる人間は少ないと思います。
霊的な感受性にも様々なものがあり、最も微妙で難識なものは日常生活における観察と理性的推論により認識されます。(インスピレーションも必要です)
普通の人間は、世の中を観察して利口になり成功しようと努力します。
しかし、「神の摂理」を感受する為には表面ではなく内に隠れた真理を知る努力が必要です。
しかし、「神の摂理」を感受する為には表面ではなく内に隠れた真理を知る努力が必要です。


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