イエスは言われた。
貴方達も、そんなに物分りが悪いのか。
全て
外から人の体に入る物は、人を汚す事ができない事が分からないのか。
それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。
こうして、全ての食べ物は
清められる
マルコ7・17-19
 
如何なる悪も人間が単にそれを考えたという理由からは人間に転嫁されない。
彼は善、或いは悪を理解し、これを考えるように創造されており、彼は両者の中間に存在し、霊的な自由によって、何れか一方を選ぶ力を持っている。
彼はこの選択の力を持っている故、その願望を遂行するか、またはこれを慎む事が出来る。
もし、彼がその願いを遂行するならば、それは意志によって所有され、それを慎むならば、それは所有されない。

人間が生来傾いている悪い欲情は全て、自然的な人の中に宿り、人間がこれに近づくに応じて、これは彼の思考の中に流れ入ってくる。
同様に、諸々の良い願望は、主から来る諸々の真理と共に、思考の中に流れ入って来る。
その時、善と悪とは秤の皿の分銅のように均衡を得ている。
その時、人間が悪を選ぶならば、それは古い意志により受け入れられ、その古い意志の貯蔵物は増大する。が、彼が善と真理を選ぶならば、主は新しい意志と新しい理解を古い意志と理解の上に作るのである。
 
諸々の真理により、善は徐々に新しい意志によって同化され、古い意志における悪は征服され、除去され、かくて凡ゆるものは秩序に復する。
これにより、思考は、遺伝的な諸々の悪とその汚穢が由って以って除かれる所の、浄化し、或いは排泄する働きを持っている事が示される。
それ故、単に考えてみるにすぎない諸々の悪がその当人に転嫁されるならば、改良と再生は不可能となるであろう。 

上記はスエデンボルグからの抜粋です
単に考えるだけの悪は、人間に所有されず、罪ではありません。
しかし、誤謬が思考を経て意志に受け入れられると、古い意志の貯蔵物(罪)は増大します。
人間が新しい意志を得て再生する為には、善を選択し真理を思考する事により、誤謬を排泄し罪を浄化するプロセスが必要です。
これは霊的試練として主(神、天界)より与えられ、次第に自由と平安を獲得していきます。が、霊的試練の実情は各々で異なり、毎日の生活における善悪の選択が重要です。
人間は異なる境遇に生まれ、性格等も異なるので試練も様々だと思います。

上記を理解できる人は確信している事柄(信仰?)に関して理性的な選択を行わないと危険です。
悪や誤謬が浄化され排泄される為には、思考が必要です。