天的な人が『第7日』または『安息日』であり、その事は安息日の主から明白である。
 
人の子はまた安息日の主である(マルコ2・27)

天的な人の休息はイザヤ書に安息日により記されている―
 
もし貴方が安息日から貴方の歩みをかえし、私の聖い日に貴方の望む事を行わず、安息日の事柄をエホバの聖いものに対する歓び、尊いものと呼び、それを尊んで、貴方自身の道を行わず、貴方自身の求めるものを見出さず、また言葉も話さないなら、その時、貴方はエホバに歓ばれる者となり、私は貴方を地の高い物の上に連れて行かれるようにし、ヤコブの嗣業[遺産]をもって貴方を養おう(イザヤ58・13,14)
 
天的な人の特質はこうしたものである為、彼は自分自身の願いに従って行動しないで、主(神、天界)の悦ぶ事に従って行動する。
かくて、彼は―ここでは『地の高い物の上に連れ行かれる』事によって意味される所の―内なる平安と幸福を楽しみ、同時に『ヤコブの嗣業[遺産]をもって養われる事』により意味される所のー外なる静謐と歓喜を楽しむのである。

再生しつつある者の凡てがこの状態に到達するわけではない。
現今、大半の者は単に第一の状態に達するに過ぎず、若干の者は第二の状態にのみ到達し、他は第三、第四、第五の状態に達し、僅かな者しか第六の状態に達しておらず、第七の状態(
7日、安息日には殆ど何人も到達していない。 

上記はスエデンボルグからの抜粋です
人間は6つの状態を経て再生し天的な人になり安息に到達します。が、スエデンボルグの時代では安息に到達した人は殆どいなかったようです。
創世記にある天地創造の7日間は、この人間の再生を述べています。が、その内意を知る人は少ないと思います。
天的な人間は、自分自身の願いで行動せず、内なる平安と幸福と、外なる静謐と歓喜を楽しみます。

富や名声の為に心を煩わせジタバタせずに、平安と静謐を楽しむ事が必要です。が、多くの人間はジタバタしないと
生活の為のお金さえ得られません。
そうであっても、
自己の義務や用事や仕事を行う時に、ズルイ事やインチキな事を嫌い避ける習慣を身に着ける事で、次第に天界に連結するようになり、善の知恵と真理の理知に優れた天使達に自らを従属させる事ができれば、平安と静謐を楽しめます