地獄の他にまた剥奪(はくだつ)があり、それについては聖言に多くの事が記されている。
人間は実際に犯した罪の結果、他生へ無数の悪と誤謬を持って入り、これを自分自身に蓄積し、接合している。
正しい生活を送った者でさえもそうである。
これらの者が天界へ抱え上げられる事ができる前に、その者達の悪と誤謬は消散されなくてはならず、この消散が剥奪と呼ばれている。

この世で生きている間に単純と無知から宗教上の誤謬を吸引したものの、他の者のように憎悪、復讐、姦淫に生きなかった多くの人物がいる。
他生では、これらの人物は誤謬に留まっている限り、天界の社会へ入れられる事はできない。
なぜなら、その誤謬が天界に感染するからである。
それで彼らはその誤った原理を除く為に、しばらく低地に留め置かれる。
彼らが低地に留まる時間は、誤謬の性質と程度に応じ、長短様々である。
そこに甚だしく苦しむ者があり、それほど苦しまない者もいる。
こうした苦しみは剥奪と呼ばれるものであり、剥奪の期間が過ぎると、彼らは天界に挙げられ、新しく来た者として信仰の諸真理を天使から教えられる。

善良で道徳的な生活を送ったものの、自分の業により天界に値すると考えた者は、他生では、草刈と呼ばれる。
彼らは冷たい
その為、自分自身を草刈という労働で温めようと試みる。
彼らは天界に挙げられる事を常に望んでおり、時折「どうしたら自分自身の力により天界に入れるであろうか?」と共に協議している。
これらの人物は良い業を行った為、剥奪される者達の間にいて、ある時間が経過した後で、良い社会に入れられて教えられる。

上記はスエデンボルグからの抜粋です

スエデンボルグは輪廻転生を明記していませんが、上記で説明されている低地とは現世近傍の霊界の事ではないかな?と思います。
私の理解では、霊界の低地(幽界?)は、近年、清掃・閉鎖され、地球の輪廻転生システムに変更が生じています。
死後の剥奪によらず、現世において宗教的な誤謬を吸引しない事が必要です。
 
(へちま)