写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介

2012年02月

物的身体に宿る前の霊は、到達した霊性の発達レベルに応じて「神の摂理」を理解をしており、身体に宿った後も直覚的な回想力を保持していますが、低劣な人間的本能がそれを忘れさせます。 その摂理の理解は霊の良心(善悪の分別力)に刻み込まれています。 良心に刻み込

美徳はすべて価値があります。霊性の向上の証だからです。邪悪性を帯びた影響力の誘惑に自ら抵抗する行為も全て徳行と言えます。が、その徳行の崇高さは、他人への善行のために私利私欲を滅却するところにあります。最も崇高なる徳は、できるだけ多くの人への無私の善行とい

人間がこしらえた法律は必ずしも絶対的公正とは一致しません。その上、人間の法律が規定するのは社会生活に関連した側面に限られております。しかし各個人の生活においては、時々刻々の言動や思念について、良心の法則による裁きを受けております。 イエスが言っております

389.人間は自分自身から仁慈を剥ぎ取る時、自分自身を主(真の生命:主から発する愛の生命)から引き離すのである。それは人間を主に連結させるものはひとえに仁慈であり、すなわち、隣人に対する愛、慈悲であるからである。仁慈がない時、分離が起こり、分離が起こる時、

その理由は善はことごとく主のみから来ており、主は、これらの悪が罪として取り除かれない限り、人間のもとへ入って人間を導かれることはできないということである。なぜなら、それらは奈落のものであり、人間の許における地獄であり、地獄が除かれない限り、主は入って天界

霊が間違った道へ迷い込むことも神は許します。 各自に選択の自由を与えているところにこそ神の叡知があるのです。 成就した時の功績もその霊自身のものとなるからです。 当初から迷うことなく正しい道を歩む者と、悪の道のドン底まで迷い込む者とがおり、その中間には大

ソニーNEX-5Nの標準レンズE3.5-5.6/18-55 OSSの中古品を入手したので使用してみました。 これはオート・フォーカスのズーム・レンズで広角端18mm、望遠端55mmです。 F値3.5-5.6でフィルター径49mmと小型軽量(約195g)ですが、手振れ補正機能?も付いているようです。
『Sony E3.5-5.6/18-55 OSS』の画像

進化の階梯の中間に位置する霊は、霊性の浄化が唯一の願望となり、一途に向上進化を目標としている霊です。 この階級の霊は、それぞれに達成した純粋性の度合いに応じて、その力量をそなえております。ある者は科学的知識に優れ、ある者は叡知に優れ、またある者は憐憫(れ

もしも全ての霊が初めから完全無欠なものとして創造されていたら、完全性を成就することから生じる喜悦を味わう資格があるでしょうか。奮闘努力をしないところに一体いかなる価値が生まれるのでしょうか。 あえて申し上げますが、そもそも霊が上下善悪さまざまで、言わば“

永遠に低界層に留まる霊はいません。全てが完成へと向かいます。懲罰の期間がいくら長かろうと、いつかは変化するものです。人間の親でも、出来の悪い我が子を生涯勘当するでしょうか? 向上進化を速めるのも遅らせるのも本人の自覚しだいです。向上心の強さと神の摂理に従

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