善良でない数人の霊がわたしの周りにいた。一人の天使が近づいてきた、するとわたしはその霊たちがその天使がその場にいるのに堪えることができないのを認めた。なぜならかれが近づくにつれて、彼らは益々後退したからである。わたしはこれを怪しんだが、その霊たちは天使が
2012年04月
良心の懊悩と認識の苦痛
善と真理の中にいようと欲している人間が自分自身の中に悪と誤謬とを確認するに比例して、すなわち、悪または悪霊らの欲念と誤謬とがかれの善と真理へ徐々に入り込んでくるに比例して反抗するのである。 欲念と誤謬との中に悪霊の生命があり、善と真理の中に天使たちの生
宗教から考える
さて現今の信仰は全ての戒めを抹殺してしまわないか、否か、を考察してみられよ。その信仰は、主はわたしたちの罪のために苦しまれた、主は律法を成就することにより律法の断罪を取り去られた、人間は善い業なしにこの信仰により義とされ、救われる、ということである。 か
十戒と生命
『かれらの業がかれらとともに従う』と言われている「黙示録」の他、多くの記事に『業』が言われているため、―いかようにして霊的生命が得られるかについて若干述べてみよう。 霊的な生命はもっぱら聖言における戒めに従った生活[生命]により取得されるのである。 こ
分離し破壊する信仰
霊的生命が現今の信仰によりいかようにして破壊されるかを今述べよう。 この時代の信仰は以下のものである。 すなわち父なる神はその御子をつかわされた、御子はわたしたちの罪のために十字架の苦しみを受けられ、律法を成就することにより律法の断罪を取り去られたことが
善い業
第三の、または最も内なる天界の天使たちは最大の知恵と幸福の中にいるのである。いかようにしてあなたたちはそうした天使になられたのか、とたずねられると、かれらは以下のように言ったのである。 すなわち、わたしたちは世に生きている間に汚れた考えを忌まわしいことと
2つの天国
霊的な王国の中にいる者たちのもとでは、真理は外なる、または自然的な人の中に植えつけられ、そこで先ず、記憶となり、その人間がそれに感動し、それにしたがってその生命を形作るに応じて、それは理解の中に呼び出され、信仰になると同時に隣人に対する仁慈となるので
人間自身の誤謬
人間自身の物は悪と誤謬以外の何物でもないことは以下の事実から私に明らかにされたのである。 霊が如何ような時であってもその霊自身から語ったことはことごとく悪く誤っており、かれら自身から語ったことが私に明らかにされた時は常に、たとえかれらは語っている間に、そ
人間的誤謬
今のそなたには得心しかねる事であろうが、全ての啓示は人間を通路としてもたらされる。故に多かれ少なかれ、人間的誤謬によって脚色されることを免れないのである。いかなる啓示も絶対ということは有り得ぬ。信頼性の証は合理的根拠の有無以外には求められぬ。故に新たなる
観念と情愛の映像
霊の性質は他生ではその思考の只一つの観念[考え]によっても知られることができるのである。実に天使たちはたれかを眺めるのみで、その性格のいかようなものであるかを直ぐに知る力を主から得ており、いかような誤りも亦ないのである。 それ故人間の只一つの観