写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介

2012年10月

いいえ、新しい世界はすでに生まれているのです。産みの苦しみと、涙と哀しみの洗礼を受けて生まれているのです。すでに存在するのです。その朝日が今地上の霧を通して射し始めております。 しかし、その新しい世界においても、何もかもが成就されるというわけではありませ

常に上を向いて歩んで下さい。下を向いてはいけません。 太陽の光は上から差します。下からは照らしません。 太陽は永遠の輝きの象徴です。霊的太陽は啓蒙(けいもう)と活力の源泉です。 内在する霊に刺激を与えます。 自分が本質において永遠なる存在であり何ごとも修

「神は風を地に吹かせられた、それで水は減った。」 これは凡ての物を秩序正しく処理されたことを意味することは聖言の『風』の意義から明らかである。 霊はことごとく、その善い者も、悪い者も『風』にたとえられ、なぞらえられ、また『風』とも呼ばれ、原語では『霊』は

心というものは、あなた方のような身体だけに限られたものではありません。法則を通して働いているのです。心を脳味噌と切り離して考えないといけません。 心はそれ自体で存在します。しかし、それを自覚するには何らかの表現器官が必要です。そのために人間に幾つかの身体

麻浴山宝徹禅師、扇を使うちなみに、僧きたりて問う、 「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚扇を使う」。 師いはく、「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」と。 僧いはく、「いかならんかこれ無処不周

三位一体説が宗教と何の関係があるのでしょう。無原罪懐胎(かいたい)が宗教と何の関係があるのでしょう。贖罪(しょくざい)説(イエスがすべての罪を背負ってくれるということ)が宗教と何の関係があるのでしょう。こうした説を信じた者は信じてない者より少しでも宗教的

それ故、仁慈はその起原においては善意であり、善意は内なる人の中に住んでいる。 それ故、何人であれ、仁慈をもつ者が罪人を罰し、あるいは邪悪な者を懲らしめる時は、彼は外なる人によって行動するものの、間もなく内なる人の仁慈に帰り、彼は、能う限り、あるいは有益

専ら信仰の教義の中にいる者たちはあらゆる者を区別もなしに隣人と呼んでいるため、隣人に対する仁慈とは自分自身のものを他の者に与え、憐れみを必要としているように見える者にはたれにでも憐れみをほどこすことに在るのではなくて、それを越えたものの中に在ることを知

そしてこれが内なるものを知り、これを承認するようになって、しかもそれを冒涜するよりも、むしろ快楽と欲念の中に生き、そうしたものにより自分自身を内なる事柄から遠ざけることが人間に許されている理由である。 こうした理由からユダヤ人は現今自分自身を貪欲の中に浸

異邦人でも道徳的な生活を送って従順であり、相互愛に生き、その宗教に応じて何らかの種類の良心を受け入れた者は他生で受け入れられ、そこで天使たちから入念な配慮の下に信仰のいくたの善と真理とを教えられるのである。なぜならかれらは、悪い生活を送った多くの基督教徒

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