写真帖

スエデンボルグや道元による真理を写す手帖

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お金や名誉では得られない真の幸福である
自由や平安、心の健康や永遠の生命を得る為の
スピリチャルな知識を紹介

2013年08月

人間が地上に生を享けた目的は、神の子である「霊」を外に発揮すること、終局においては、神性の美を物質の上に表現することです。 人は心の中の秘所に進み入り、そこに神の子である神性を発見せねばなりません。 自己内在の秘密を学びとらねばなりません。 皆さんは物

神、わたしのいう大霊は、人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。 すべてが神であり、神がすべてなのです。 ある人にとって神は優しいそよ風のごとく感じられ、又ある人にとっては、ときに荒れ狂う嵐のごとく感じられるものです。 すべては各自の発

自己をはこびて万法を修証するを迷とす。 万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。 人はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり。 法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。 身心に法い

牧師のもとへ行っても相も変わらず古い説教に少しばかり現代風な味を加えて説くばかりです。そしてすぐに〝聖書〟を引用します。 いわゆる“あの世”について“みずから疑問符”を付けている者が、どうして肉親に先立たれた人たちを慰めてあげられましょう?。先(死後)の

洗礼と呼ばれる洗いは霊的な洗いを意味する。すなわち、諸々の悪と虚偽とからきよめられることを意味し、かくて再生を意味している。 洗うことはモーゼの法令に命ぜられた。 普通の洗浄は身体を浄めるが霊を浄めることは出来ない。何故なら、如何なる盗賊、掠奪者

大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。 こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。 人間には霊がある、あるいは魂があると信じて

外なるものの中にいることの何であるか、内なるものの中にいることの何であるかを知る者は現今では僅かしかいないため、また大半の人々は内なるものの中にいる者たちは外なるものの中にいることはできないし、またその反対に外なるものの中にいる者は内なるものの中にいるこ

人生は“埋め合わせ”の原理によって営まれています。 日陰のあとには日向があり、嵐になれば避難所が用意されます。 光と闇、嵐と晴天、風と静寂――こうしたものはすべて大霊の配剤なのです。 大霊は生命活動の全側面に宿っております。 闇があるから光の有り難さがわ

わたしは天使たちと表象について語り、地上の植物界には何らかの点で主の王国を表象していないものは一つとして存在しない、という意味のことを彼らは言った。 植物界の美しい優雅なものはことごとく天界を経て主からその起源を得ており、主の天的な霊的なものが自然界に流

明るい善念で生活していれば、すなわち、内心から湧く神の子の心で生活していれば、波風はなく、平和で幸福で、調和に満たされています。 何物もこれを犯すことはありません。 優しい美しい調和がそこにあって、万事が新鮮で完璧です。 反対に、不統制で無秩序で不幸で

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