善良な者たちのみでなく、悪い者らの間にも、すなわち、天界におけるように地獄にも、一種の政治があり、すなわち、支配があり、従属があり、それがなくては社会は結合しないからである。 しかし天界の従属は地獄の従属とは全く異なっている。 天界では凡ての者は平等な者
2014年02月
一人の父から新しい霊魂を得た兄弟
古代では教会にぞくした者たちがかれら自身を『兄弟』と呼んだことは、かれらは主をただ一人の父として承認したためであり、また主からかれらは新しい霊魂と新しい生命を得たためであった。 それで主は言われている― あなたらはラビと呼ばれてはならない、あなたらの
真理であるという外観をつけた誤謬
「わたしはわたしの主に告げるために、あなたの目の中にめぐみを得るために、使いの者を遣わします」。 これは主に状態について知らせることとまた真理が善の前に立ってへりくだり、自らを卑下することを意味されていることは、『告げるために(使いの者を)つかわすこと』
霊的な試練により明るくされる自然的なもの
再生しつつある人間のもとに状態が転倒しつつあるとき、すなわち、善が第一位に立つと、そのとき試練が来るのである。 その時以前ではその人間は試練を受けることはできないのである、なぜならかれは未だ知識の中に―その知識をもってかれは自分自身を防禦し、また慰安を求
霊的試練で抱かされる「まともな考え」
善に自己功績を置く者は善はすべて自分自身から発していることを承認し信じている。そのため、かれはその行う善の中に自分自身を顧慮していて、主を顧慮していない。従ってその功績のために報酬を要求する。 それでこのような者は自分自身に較べて他者を軽蔑し、かれらを非
霊的な試練により明るくされる人間
人間の中の霊的な試練はその者のもとにいる天使たちと悪霊らの争闘であり、この争闘はかれの良心の内に普通感じられる。この争闘についてはまた以下のことを知っておかなくてはならない、すなわち、 天使たちは絶えず人間を守っていて、悪霊どもがかれに加えようと努力して
主から庇護されている者たち
奈落の霊らの狡知と悪意とは主から庇護されている者たちには些かも危害を加えることはできないこともまた主の以下の言葉により意味されている― 弟子たちは蛇とさそりとをふみつける力を、敵の凡ゆる力を治める力を持つであろう(ルカ10・19)。 またかれらは蛇を
神の御心にかなった人
この霊媒(バーバネル)にはあなた方のいう聖霊の力がみなぎっております。それがこうして言葉をしゃベらせてくれるのです。私(シルバー・バーチ)はあなた方のいう復活せる霊の一人です。 私たちインディアンは霊覚が発達しており、死が恐ろしいものでないことを知っており
霊魂と身体との交流
「神はノアに語られた。」 これは人間のもとに主が現在[臨在]されたことを意味している。 主の臨在はその人間がその中におかれている隣人に対する愛と信仰の状態に応じてその人間について述べられる。 人間が隣人を愛する時始めてその者の許に主の現存[
聖い恐れから始まる神礼拝
わたしは知恵。熟慮と共に住まい 知識と慎重さを備えている。 主を畏れることは、悪を憎むこと。 傲慢、驕り、悪の道 暴言をはく口を、わたしは憎む。 (箴言8・12-13) 同じく以下の真理を導入されたい。すなわち、 神礼拝は凡て、神は善い者に報い、悪い